端午節の由来について色々な説がありますが、なかでも古代の詩人屈原を記念するためのものだという説が民間では一番有力であると言われています。
屈原とは人の名前で、彼は戦国時代の楚国の愛国詩人でありながら、正義感の強い政治家でもあり、国民に愛されていた人物です。紀元前299年屈原は斉国と携えて秦国に抗争するという奇策を楚国の国王に進言しましたが受け入れられず、讒言に陥られ左遷されました。紀元前278年5月5日、楚国が秦国に併合されたことを聞いた屈原は汨羅江に身を投じて亡楚に殉死しました。彼の死を知った庶民たちは、川に舟を走らせ、屈原の屍骸を探しにでかけました。また魚やワニが屈原の屍骸を食べてしまわないように玉子やチマキを川に投じたり、魚とワニを酔わせようと雄黄酒を川に流したりと、屈原の屍骸を守るのに必死だったそうです。それから毎年旧暦の5月5日になると人々はちまきを食べたり、竜舟を競ったり、雄黄酒を飲んだり、香り袋を着けたり、よもぎを掛けたりするのが人々の習わしとなってきました。
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